市原
【いちはら】

旧国名:近江
杣(そま)川の西岸の地域。中世は杣荘のうちで櫟原と称したが,のち西部を塩野(しおの)と称し,東部を櫟原と改め,市原といったという(甲賀郡誌)。応永年間から六角氏の麾下望月氏の領地であったが,天正13年,水口(みなくち)岡山城主の支配となった。正平15年9月葛木(かずらぎ)山を拠点とする南朝方の仁木義住と,市原城にあった六角氏頼が戦ったところという。市原城址は不明(甲賀郡志)。社寺に,市原村の鎮守で,坂本神社を勧請し,もと十禅師権現と称していた美須美神社,寺院に,延暦2年伝教大師が開基したという天台宗浄照寺,天文年間に中興された,もと安土(あづち)浄厳院末寺(明治23年より知恩院末)の浄土宗西願寺がある。
【市原村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【市原(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7130516 |





