上野田
【こうずけだ】

旧国名:近江
出雲(いずも)川右岸に位置する。地名の由来は出雲川への「川付き田」がなまったという説,天暦年間上野国多胡(たこ)郡の民を移住させたという説,「こうづけ」なる者の開拓による説(日野町志)等多岐にわたるが定説はない。当地には綿向神社の例祭日野祭の執行全権を司る神調社(しんちようしや)という組織があるが,弘治2年「祭礼渡御行列次第」に「先駆隼人部二十人上野田村より出ず」とあり,これを芝田楽(しばでんがく)と称し,田楽舞の歌詞を伝えるところから,鎌倉期にはすでに隼人部集団があり,田楽舞を奉納していたことがうかがえる。伝説では永和年中より神調社組織が生まれているという(綿向神社文書)。正覚寺境内には応安3年刻銘の名号板碑がある。
【上野田保(中世)】 南北朝期から見える保名。
【上野田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【上野田(近代)】 明治22年~現在の日野町の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7132180 |





