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地子原
【じしはら】


旧国名:近江

安曇川(あどがわ)の支流北川沿いに位置する。地子とは地代を意味する語で,この土地は,中世延暦寺領時代,百姓が紙袋米と称して貢納した所と伝えられる。きわめて軽微な負担で領主から優遇されたわけである。最初開拓されたのは左近四郎・右近四郎(ともに上山氏)の住んだ谷所(たにじよ)で,以後中在家・向所(むかいじよ)に分かれたという。これらが本郷で,その後,越前・若狭(わかさ)からの来住者によってできた枝郷が東の打明(ひらき)と西の立戸(たつと)である(高島郡誌)。諸説もあるが,いずれも新しい集落の開発を意味する命名と考えられる。注意すべき慣行として,本郷と打明の間には江戸末期まで親方子方制度が存続し,元禄16年以降,年始・盆・暮・冠婚葬祭に関して定めた式法があった。しかし,明治5年滋賀県に所属した際,これらの旧習は廃止となった。
地子原(中世)】 室町期から見える地名。
地子原村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
地子原(近代)】 明治22年~現在の朽木村の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7132627