庄堺村
【しょうざかいむら】

旧国名:近江
(近世)江戸期~明治7年の村名。高島郡のうち。安曇川(あどがわ)の南側に位置する。村名は広瀬荘・三重生(みえう)郷の境であることによる(高島郡誌)。総村高は寛永年間360石余,元禄年間354石余(寛永高帳・元禄郷帳)。うち132石余は元和5年より大溝(おおみぞ)藩領,222石余は寛永11年より膳所(ぜぜ)藩領。「高島郡誌」に「三重生明神の社あれども氏神にあらず。社の南に五,六軒の民家あり。三重村の民家なり。其道より西を庄堺とす。村民たりとも道より東に居るものは太(泰)山寺野の草を刈ることを許さず。南古賀より年々万歳楽の米と唱えて志次第に米を集むるも道より下へ廻らず。庄堺の神事は六月八日なれど氏神なし」とある。明治5年滋賀県に所属。同7年三重生村に合併。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7132890 |





