田堵野
【たどの】

旧国名:近江
北に櫟野(いちうの)川,西に和田川が流れる油日(あぶらひ)谷の中でも平坦部の多い地域。中世には大原荘のうちで,応仁年間から慶長年間までは和田氏の領有するところであったという。西方に当地の名族大原氏館址がある。長享元年,大原源蔵のとき,六角高頼に味方し足利方の陣営を襲って軍功を立てた。また同族の篠山理兵衛は慶長5年,関ケ原の戦で鳥居元忠に属し戦死。篠山氏は宝暦年間まで当地にあったが,その後江戸に移った。大原氏はこの地にとどまり,慶応4年の戊辰戦争では官軍について朝廷の守衛に当たり,その後,仁和寺宮に従い越後・奥羽を転戦,戦争終結後は当地に帰り医業に就いたという(甲賀郡志)。寺院に大同年間開基された浄土宗長福寺がある。同寺はもと天台宗で貞享3年に改宗,元亀年間戦火により焼亡したが,天保年間に再建された。
【田堵野(中世)】 鎌倉期に見える地名。
【田堵野村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【田堵野(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7133553 |





