能登瀬
【のとせ】

旧国名:近江
「万葉集」にもその名が見える能登瀬川(箕浦(みのうら)川・浅妻(あさづま)川・天野(あまの)川ともいう)が南を流れ,東北に山峰を負う。青木の里とも称するが,青木は「あふき」,即ち仰の意で,延喜式内社で近隣26か村の郷社,青木大梵天王社(山津照神社)にちなむ。同社は,山津照大神をまつり,貞観8年閏3月正四位下となり(三代実録),暦応2年の「光厳院院宣」や大永6年の「京極隆頼願文」などの古文書を所有,境内には息長宿禰の墳墓と伝える古墳1基がある(輿地志略・市町村沿革史)。山出と称する枝郷があった(坂田郡志)。
【能登勢(中世)】 戦国期に見える地名。
【能登瀬村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【能登瀬(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7134435 |





