網野
【あみの】

旧国名:丹後
福田川下流域に位置し,北方は日本海,東方に離(はなれ)湖がある。地名の由来は,垂仁天皇の時代,天湯河板挙命が但馬から当地水江へ来たり,水に浮かぶ白鳥をとるべく,松原村遠津神に願って水江に網を張ったことによるという(網野町史)。当地の歴史は古く,地内には遺跡が多い。全長195m・高さ17mという日本海沿岸地方有数の前方後円墳,銚子山古墳や,数戸の竪穴住居跡が発見された弥生時代の林遺跡がある。また,銚子山古墳に続く東北麓には寛平法皇塚と称する陪塚があり,石枕が出土した。その付近の畑地を福田の園といい,そこには浦島子の屋敷跡・しわ榎木など浦島子の伝承を伴う土地がある。
【網野郷(古代)】 奈良期~平安期に見える郷名。
【網野郷(中世)】 室町期~戦国期に見える郷名。
【網野村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【網野村(近代)】 明治22~33年の竹野郡の自治体名。
【網野町(近代)】 明治33年~現在の竹野郡の自治体名。
【網野(近代)】 明治37年~現在の網野町の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7136223 |





