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猪隈荘
【いのくまのしょう】


旧国名:山城

(古代~中世)平安中期~室町期に見える荘園名。山城国乙訓(おとくに)郡のうち。現在地の比定は困難であるが,「類聚国史」巻32天皇巡幸の項に「延暦十一年正月甲子,車駕巡覧諸院,於猪隈院,令五位已上射賜中者銭」と見える猪隈院(向日市森本町地内が猪隈院跡ともいう)となんらかの関係があるとすれば,旧長岡京域内の向日市から長岡京市の一部にあったと考えられる。摂関家領の1つで,応和元年6月,九条右大臣藤原師輔がその子尋禅に譲った妙香院荘園目録にその名が見える(華頂要略)。その後再び摂関家領にかえり,仁平3年8月8日左大臣藤原頼長の春日詣雑事定では,当荘に300果の裹飯が負課されており(台記別記),また建長5年10月の近衛家所領目録(近衛家文書)にも記載されている。下って近衛政家が応仁の乱後の所領について記した「雑事要録」にも当荘が近衛家領として記載されているが(近衛家文書),一方この頃には下鴨社領としても文書・記録類に見える。すなわち,宝徳2年3月26日には野田弾正俊豪が「鴨社領山城国西岡猪熊荘下司職」に補任されており(田中教忠氏所蔵文書),賀茂御祖皇太神宮諸国神戸記には,同社領として「西岡猪熊荘」の名が見え(内閣文庫所蔵文書),「親長卿記別記」所収文明12年12月29日伝奏奉書では,故梨木祐香の譲にまかせて,この地を鴨社禰宜梨木倩祐に安堵しているが,同書所収の文明13~14年頃の伝奏奉書では,同荘下司職を野田祐兼が押領して,年貢公事を上納しなかったことが知られる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7136767