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海印寺
【かいいんじ】


旧国名:山城

老ノ坂山地南部の主峰釈迦岳(631m)東南麓と桂川支流小泉川の上・中流域を占め,西半は山地,東半は平地と丘陵。地名の由来は,仁寿元年道雄創建の名刹海印寺が所在したことによる。海印寺は海印三昧寺ともいい,空海の10弟子の1人道雄が,華厳・真言の修学のために,この地の西にある木上山(このかみやま)に創建した寺院で,はじめ10院あった(文徳実禄,仁寿元年6月8日条)。嘉祥4年3月22日には定額寺として年分度者2人を賜い(類聚三代格),貞観15年2月22日太政官符に引く海印寺牒によれば「此寺僧等惣百余人」(同前)とあり,その盛況をうかがうことができる。仁安2年3月23日摂政藤原基房家政所下文案(東大寺図書館本倶舎抄裏文書)によると,この時摂政家の御願寺として長日不退の祈祷を命ぜられている。しかし応仁の乱の兵火にあって衰退し,現在はその塔頭の1つであった寂照院を残すにすぎない。
海印寺(中世)】 平安末期~戦国期に見える地名。
海印寺村(近代)】 明治22年~昭和24年の乙訓郡の自治体名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7137996