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上五条町
【かみごじょうちょう】


旧国名:山城

(近世~近代)江戸期~現在の町名。大宮通松原下ル西側の町。町名は,松原通の古称五条をとったという(府地誌)。はじめ山崎町と称したという(府地誌・坊目誌)。寛永14年洛中絵図以降,中井家系の筆描絵図に「上五条丁」と見え,「宝暦町鑑」は「上五条大宮町」と記す。しかし,寛永18年以前平安町古図および「京雀」では,「山崎やノ町」「山崎屋町」と見え,版行絵図では以後これが踏襲され,天保2年京町絵図細見大成に至り,「上五条町」と記される。当町界隈は丹波からの物資の集散地で,「京羽二重織留」は丹波問屋として伊賀や次郎兵衛ほか5名を記し,それら商店では煙草・御座・ざこく・まわたなどを扱った。「京羽二重織留大全」も同様の記事を載せ,「京独案内手引集」は当町の近くに「馬やど」があったことを記す。また享保9年頃,かせ染青屋綿や平右衛門が町内に居住したという(諸式留帳)。安政6年,町内居住の大黒屋平兵衛が浄真寺門徒惣代の1人として浄真寺量照帰寺の願書を提出,願いが聞届けられている(東本願寺史料)。江戸期,公儀軒役は31軒役を勤めていた。江戸期は下古京川西組新シ町四条大宮組,明治2年の町組改正より下京(しもぎよう)22番組,同5年第16区と改称,同25年第16学区に編成。明治12年下京区上五条町,同22年京都市下京区上五条町となり現在に至る。同44年の世帯数78・人口337,大正14年の世帯数75・人口315,昭和40年の世帯数78・人口331。人口増減率(昭和40~50年)28.1%減。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7138486