上佐比里
【かみさいがり】

旧国名:山城
(古代)条里の里名。山城国紀伊郡12条に属し,石原郷のうち。位置は伝九条尚経筆九条御領辺図に示されており,紀伊郡の西北隅を占め,西界は即ち乙訓(おとくに)郡との境界をなす(九条家文書3-652)。現在の京都市南区吉祥院三ノ宮町を中心とする地域。いま北半部を斜めに国鉄東海道本線・新幹線が通っている。史料上の初見は貞観13年閏8月28日の太政官符で,この時山城国葛野郡の地一処とともに「十条下石原西外里,十一条下佐比里,十二条上佐比里」にまたがる地一処が葬送ならびに放牧地と定められ,占取耕営を禁じられた。官符はその四至を「東限路并古河流末,西南並限大河,北限京南大路西末并悲田院南沼」と記し,またここを「件等河原」と表現しており,西界沿いに桂川が流れ,里内が漸次耕営されつつもなお多くの部分が河原の状態であったことが理解される。また,別に「上佐比里百姓本自居住宅地。人別二段已下者不在制限」とも述べられているから,おそらく里内の自然堤防上に百姓の集落が営まれていたと判断される(類聚三代格)。その後,里内の土地は徐々に開発が進められたらしく,長元6年3月10日の山城国紀伊郡司解には,7か坪にわたって6町歩ほどの田畠が権大納言家領(石原荘)の内として書き上げられ(神田喜一郎氏旧蔵文書/平遺523),また永久元年12月の玄蕃寮牒案には,4か坪に散在する約8反歩の後深草陵墓田が記載されている(柳原家記録/平遺1801)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7138503 |





