上之町
【かみのちょう】

旧国名:山城
(近世~近代)江戸期~現在の町名。大宮通七条下ルの町。寛永14年洛中絵図などの中井家系の筆描絵図は「大みや上ノ丁」,承応2年新改洛陽並洛外之図以降の版行絵図は「七条大宮」と見え,「宝暦町鑑」は「上之町」と記す。江戸期当町は上中之町・徹宝町とともに西本願寺に対し1年に550文の御挑燈料志を納めていた(寺内歳時記)。江戸期,公儀軒役は32軒役を勤めていた。町内東側には但馬国養父郡建屋村の者の建立で,僧隆存の開基と伝える浄土真宗本願寺派宝雲寺がある。本尊は阿弥陀仏。江戸期は下古京川西拾六町組新シ町七条出屋敷三町組,明治2年の町組改正より下京(しもぎよう)21番組,同5年第29区と改称,同25年第29学区に編成。明治12年下京区上之町,同22年京都市下京区上之町となり現在に至る。明治34年町内に劇場富士の家が設立。同44年の世帯数65・人口266,大正14年の世帯数50・人口201,昭和40年の世帯数29・人口156。人口増減率(昭和40~50年)42.3%減。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7138696 |





