上之町
【かみのちょう】

旧国名:山城
(近世~近代)江戸期~現在の町名。島原西新屋敷。島原遊廓六町の1つ。島原遊廓は寛永17年,六条三筋町(柳町)にあった遊里が,京都所司代板倉重宗の命で荒涼たる田野であった朱雀野に移転して成立(角屋文書・寛永後万治前京都全図・府下遊廓由緒)。替地当時の町年寄は喜左衛門という(角屋文書)。江戸期,公儀軒役は無役であった。延宝年間の「朱雀遠目鏡」の挿図によると,柏屋吉右衛門・上林五郎右衛門ほかの傾城屋の名を記す。元禄以降島原遊廓は衰退するが,不振を打開するため,享保10年夜見世営業が始められ(一目千軒),享保17年,従来東口のみであったのに対し,新たに西口が開かれ,同時に,町内に芝居小屋が立てられ女性にも開放されることになった(月堂見聞集)。江戸期は下古京川西組離レ町西新屋敷,明治2年の町組改正より下京(しもぎよう)32番組,同5年第16区と改称,同25年第16学区に編成。同12年下京区上之町,同22年京都市下京区上之町となり現在に至る。明治3年には,従来西新屋敷傾城町がもっていた洛中の遊所茶屋を支配する特権が否定され,昭和33年公娼制度廃止により遊廓そのものが廃止された。大正元年の世帯数26・人口129(男55・女74),昭和5年の世帯数60・人口357(男105・女252),同40年の世帯数123・人口339(男157・女182)。人口増減率(昭和40~50年)36.9%減。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7138697 |





