木津
【きづ】

旧国名:山城
木津川屈曲部の左岸に位置する。東部は丘陵地,西部は平坦地を成し,奈良街道沿いに集落が展開する。「山城名跡巡行志」は「本名,泉ノ里,或高瀬ノ里」と記し,また「山州名跡志」は「泉川,是レ則チ木津川ノ別名ナリ。上古,輪韓川(わがらかわ)ト号シ,後ニ挑川(いどみがわ)ト云フ」と注しており,古来いろいろな呼称があったことが知られる。木津の称は,「南都東大寺大仏殿建立ノトキ,諸国ヨリ運送スル所ノ材木,此ノ川ニ著ヲ以テ号クル所ナリ」とあるように(山州名跡志),河港として交通の要衝の地であったことによる。対岸の上狛との間に架かる泉大橋は,天平13年の僧行基による架橋が最初といわれ,対岸の泉橋寺(橋寺)は,工事殉難者の霊を供養するところと伝える。橋は洪水のためにしばしば流失し,また軍令によって撤去されたりした。架橋・修復の工事が思うように進まないために,貞観年中には早くも渡し場が設けられていた。渡舟の風景は「万葉集」巻6にも詠まれ,「狛山に鳴く霍公鳥泉川渡を遠み此処に通はず」の歌が知られる。泉大橋の南詰一帯には史跡が多い。奈良期の役所跡である上津遺跡は堤防南側に広がり,和泉式部の墓と伝えられる五輪塔が木津町殿城にある。木津堤の下の首洗池は平重衡の首を洗ったところ,池のほとりの柿の木は「ならず柿」とよばれる重衡ゆかりの柿という。木津川舟運の拠点であり,奈良街道の街道集落として地内には町場木津町が形成されてにぎわった。
【木津荘(中世)】 平安後期~戦国期に見える荘園名。
【木津郷(近世)】 江戸期の広域地名。
【木津村(近代)】 明治8~22年の相楽郡の村名。
【木津村(近代)】 明治22~26年の相楽郡の自治体名。
【木津町(近代)】 明治26年~現在の相楽郡の自治体名。
【木津(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7139239 |





