100辞書・辞典一括検索

JLogos

38

小在
【こうざい】


旧国名:山城

(中世)室町期から見える字名。山城国愛宕(おたぎ)郡のうち。「こうざい」(大徳寺文書8-2549),「コサイ」(同前8-2531),「コウサ井カ坪」(同前8-2532)あるいは小在垣内(こうざいがかいと)(賀茂別雷神社文書)ともいい,胡在(大徳寺文書5-2011)とも書く。河上・大宮・小山の3郷に分属。現在の北区紫竹上高才町・紫竹下高才町・小山西玄以町にあたる。賀茂別雷神社領で,宝徳3年3月24日の同社領河上郷地からみ帳(写)に「〈次南縄手極,小在東〉一反 幸熊大夫往来」「小在垣内南ノ畔,〈南一〉一反 彦石大夫貴布禰田 作人〈シ竹〉左近五郎」,同年3月27日付大宮郷地からみ帳(写)に「小在下車路西縄手ノ極,一反 幸徳大夫往来」とあるのが初見(賀茂別雷神社文書)。ここには賀茂社氏人の往来田が多く存在したが,応仁元年4月写の往来田古帳に載せる関連地名を拾うと,「同(河上)郷小在北」「小山郷小在南」「太宮郷小在下」「太宮郷小在南」「小山郷小在東」「大宮郷小在」などさまざまに表記されている(同前)。また,長享3年8月26日の賀茂社氏人中置文には,「俊千代大夫往来田之内小山郷〈字小在〉壱段」(同前),天文16年11月6日,右衛門太郎作職売券には「合壱段者〈在所河上郷字コウサイニ在之〉」と見え(岩佐家文書),同19年9月22日の大宮郷検地帳には「〈小在東一〉一反 大蔵少輔往来 作人中小大郎」以下6筆6反(うち5反は往来田)が記され,同年9月26日の河上郷検地帳には「〈上小在南一〉一反 加賀守貴布禰田 作人 池彦四郎跡」をはじめ11筆計9反半40歩にのぼる田地が書き上げられている(賀茂別雷神社文書)。太閤検地以後も賀茂社領として存続,天正17年霜月10日の賀茂検地帳には「こうさい」の字名を肩書とする田地17筆1町4反7畝26歩が見えるが(賀茂別雷神社文書),西半部は大徳寺領とされ,同年11月吉日付大宮郷大徳寺分検地帳に,計12筆9反1畝25歩の田地が記されている(大徳寺文書5-1998)。近代の市制町村制では,大宮村東紫竹大門字口才と称した。なお,「小在東」と呼ばれた部分は,室町期には別に「おおざい(大在)」とも称された(賀茂別雷神社文書)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7139734