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小森
【こもり】


旧国名:山城

(中世)室町期から見える字名。山城国愛宕(おたぎ)郡河上郷のうち。また南に接する大宮郷にも同一地名を存する。いずれも賀茂別雷神社領。両者は距離的には若干隔たっているが,相関連する字名である(地続きであった可能性もある)。河上郷小森の初見史料は,室町後期の賀茂社往来田古帳(応仁元年4月写)で,備中前司往来田1反の在所が「河上郷小森南」とある。また,天文19年9月26日の同郷検地帳には,「〈次東,但小森〉一反 作人池さ近四郎」および「〈次坤,間在小森溝〉一反 作人池勘解由さ衛門」と見える。同帳の地図上復元の結果では,この小森は現在の北区紫竹上園生町の内で,小森溝と呼ばれたのは,現在同町の北を流れる若狭川のあたりで堀川から分岐し南下していた用水路を指すことが明らかである。一方大宮郷小森に関する初見史料は,宝徳3年3月27日,同郷地からみ帳(写)で,これには「〈次ノ東,小森下〉大 仏光院 作人〈池殿〉左近允」あるいは「〈コモリ,次南〉一反 正伝寺 作人〈シ竹〉二郎四郎」と見える。前者は現在の北区紫竹上芝本町北部,後者は紫竹下芝本町北部に相当する。また,天文19年9月22日の同郷検地帳には「小森下溝自尻始,一反 右馬助往来 作人上野二郎太郎」と記されているが,この田地はかなり南へ下った現北区紫竹西高縄町中央部に位置していた。さらに同帳では「上溝」「下溝」の記載が見られるが,地図上復元の結果,これはそれぞれ小森上溝・小森下溝の略称であって,小森溝が2本に分かれたもののうち西側の流れを上溝,東側のものを下溝と称したとみなされる(以上,賀茂別雷神社文書)。これらの徴証により,小森の地名は河上郷南部に存在したのが本来のもので,その地点で堀川から分岐した用水溝を字名にちなんで小森溝と呼んでいたのであるが,やがてその下流が灌漑する大宮郷内の特定範囲の土地をもまた小森と称するに至り,両郷に同一地名が併存するに至ったものと理解される。なお,大宮郷小森所在の田地1反について,文明11年9月3日,宝慈院秀音田地寄進状が「大徳寺文書」にのこり(大徳寺文書3-1507),元亀3年の大徳寺諸塔頭本役銭結鎮銭出分指出にも,宗閑指出のうちに同郷小森の1反が見え,宗鑑指出には「にしかも(すなわち河上郷)小森」の田地1所も記され,ほかに両郷いずれの小森とも判別しがたいもの2筆2反も見られるから(同前8-2532),戦国期に入り大徳寺の諸塔頭が当所田地の所職若干を入手していたことが判明する。太閤検地の結果大宮郷と河上郷の一部は大徳寺領とされたため,天正17年11月の大宮郷大徳寺分検地帳には,小森の田地21筆計1町7反11歩が記載されている(同前5-1998)。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7139986