三坊堀川町
【さんぼうほりかわちょう】

旧国名:山城
(近世~近代)江戸期~現在の町名。堀川通姉小路上ルの町。古くは御池通は三条坊門小路といい,三条坊門堀川を略して三坊堀川という(坊目誌)。また,慶安図・「京雀跡追」・元禄7年「京鑑」では「三条堀川町」ともいう(坊目誌)。町名は,寛永14年洛中絵図に「三条坊門町」,寛永版平安城東西南北町並之図に「姉小路堀川」,承応2年新改洛陽並洛外之図に「三坊ほり川」,「京雀」に「三条堀川町」,寛文の洛中洛外大図に「三条坊門町」,寛文後期の洛中洛外之絵図に「三条坊門堀川町」,元禄9年京大絵図に「押ほり川丁」,元禄末期の洛中絵図に「三方堀川東町」,「宝暦町鑑」に「三条坊門堀川丁」,天明6年洛中洛外大図に「三条堀川東側町」,「文政二年軒役」・府布令書に「三坊堀川町」とあり現在に至る。江戸期,当町には四座雑色の上雑色五十嵐氏に属する下雑色中井氏(雑色要録),名酒屋富田屋(京羽二重)などが居住しており,富田屋の酒については「後水尾院様御製」とある(京羽二重織留)。江戸期は川西九町組の二条堀川組に属し,26軒の軒役を負担。祇園会には船鉾の寄町として2斗5升の地ノ口米を納めた。明治2年の町組改正から上京(かみぎよう)24番組,同5年第27区と改称,同25年第22学区に編成。明治12年上京区三坊堀川町,同22年京都市上京区三坊堀川町,昭和4年中京(なかぎよう)区三坊堀川町となり現在に至る。大正7年の現住戸数34,人口男104・女91,家数32。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7140594 |





