下魚棚
【しもうおたな】

旧国名:山城
(近世~近代)江戸期~現在の町名。下魚棚通西洞院西入から大宮東入までの町。東から1~5丁目があった。明治3年からは下魚棚通猪熊東入の町で,4丁目のみとなる。寛永14年洛中絵図には「西寺内魚ノたな」(4丁目),寛文12年洛中洛外大図に「下ノ魚棚町」(5丁目),寛保元年京大絵図には1丁目から5丁目が記される。西本願寺の寺内町で,1丁目には請酒屋仲ケ間の小堀屋吉兵衛,4丁目には米屋仲ケ間の能登屋直次郎・加賀屋吉兵衛が居住していた。また1丁目は土橋町・大黒町とともに1張分(550文),2丁目・3丁目は八百屋町とともに1張分(550文),4丁目は半張分(275文)の御挑燈料志を西本願寺に上納していた。4丁目には七条へ出る細道があり,町内西の辻は六条御台所門通,この通を南へ行くと東寺赤門通へ出たという(宝暦町鑑)。また4丁目には浄土真宗本願寺派の西教寺がある。江戸期,1丁目は西本願寺寺内町の鍛冶組,2丁目は学林組,3~4丁目は若松組に所属。明治2年,1丁目は大黒町・八百屋町,2丁目は土橋町,5丁目は大工町に合併。さらに同3年3丁目は八百屋町に合併し,4丁目のみ残る。明治2年の町組改正より下京(しもぎよう)21番組,同5年第29区と改称,同25年第29学区に編成。明治12年下京区下魚棚4丁目,同22年京都市下魚棚4丁目となり現在に至る。世帯数・人口は明治44年29世帯・86人,大正14年32世帯・152人,昭和40年30世帯・120人。人口増減率(昭和40~50年)35%減。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7140915 |