相国寺
【しょうこくじ】

京都市上京(かみぎよう)区今出川通烏丸東入北側相国寺門前町にある寺。臨済宗相国寺派大本山。山号は万年山。正式には相国承天禅寺と号す。本尊は釈迦如来。足利義満の発願により,永徳3年起工,至徳2年に竣工した。建立の相談には春屋妙葩・義堂周信があずかり,妙葩は師夢窓疎石を開山とし,自らは第2世となった。至徳3年7月10日には,南禅寺を五山の上として,相国寺を五山の第2に加えた(円覚寺文書)。この背景には夢窓派によって五山を制しようとの意図があったものと思われる。応永元年9月24日早くも炎上(鹿苑僧録歴代記),ただちに再建工事が行われ,新しく360尺の七重塔も建てられた。応永6年の塔供養は御斎会(ございえ)に准じて営まれた(相国寺塔供養記)が,同10年6月3日落雷で焼失(大乗院日記目録)。当寺はしばしば炎上しているが,応仁元年10月3日(応仁記/大日料8-1)には東軍がこれに拠り,西軍に買収された寺僧が放火して全焼。天文20年にも細川晴元と松永久秀との攻防戦で全焼。天正12年中興の祖西笑承兌が入寺。豊臣・徳川両氏,さらに後水尾天皇の援助を受け漸次復興し,江戸期には御朱印寺領1,762石を与えられた(京都大概覚書)。天明の大火で法堂・浴室などを残して焼失。その後一部再建されたが,旧観に復すべくもない。法堂は豊臣秀頼の建立で重層入母屋造,現在は仏殿を兼ね,重要文化財。開山堂の前庭は,枯山水平庭と山水の庭とを二重に組み合せたもの。国宝・重要文化財の書画を多く蔵する。明治以後,多くの塔頭を廃し,寺域も旧の5分の1に縮減した。塔頭林光院はもと二条高倉の等持寺にあったものを天正年中に移築したもので,足利義嗣の菩提所。庭に鶯宿梅を伝え,境外墓地に藤原惺窩の墓がある。塔頭大光明寺・慈照院などにも国重要文化財の什物を蔵する。総墓地には,藤原定家・足利義政・伊藤若冲などの墓塔がある。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7141326 |





