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青蓮院
【しょうれんいん】


京都市東山区粟田口三条坊町にある寺。天台宗。粟田口御所とも呼ばれ,天台三門跡の1つ。本尊は熾盛光如来。もと比叡山上の天台三千坊の1つで,久安6年青蓮坊の12代行玄大僧正の時,鳥羽上皇の皇后美福門院から院号をうけ,女院の祈願所となり,青蓮院となった(華頂要略)。粟田口青蓮院のおこりは,青蓮院4代目慈円が,それまでの自坊吉水坊に青蓮院門跡を移したことによる。比叡山の青蓮院は山上の本坊として残る。門跡寺院の青蓮院門跡は46代の間に31名の天台座主を出した。また室町期には足利義満の子,門跡義円が後継者の絶えた足利将軍家を還俗して継ぎ6代将軍義教となったことは有名。その全盛期には,現知恩院の地をも含む広大な寺地を有したというが,知恩院の建立や東大谷廟の再興で寺地を割いた。建物も応仁の乱で焼亡(碧山日録),その後近世に入り復興も本格化し,江戸幕府から愛宕郡粟田口村をはじめ紀井郡・葛野(かどの)郡・乙訓(おとくに)郡などで都合1,332石の朱印寺領を与えられた(寛文朱印留)。「京都御役所向大概覚書」では尊勝院・上乗院・妙解院・依正院など6院家を記している。明治26年,本堂以下ほとんどの建物を焼失し,現在のものはそれ以後の再建。また,天明の大火のあと一時仮御所となったこともあり,明治5年以降9年間,京都府の依頼で療養所となり,現在の府立医大の前身にあたるともいわれている。境内東方の庭園は華頂山を借景とする江戸初期の池泉観賞式庭園。寺宝に青不動と呼ばれる絹本著色不動明王像(国宝)のほか,大手鑑1帖・紺紙金泥大灌頂金明真言1巻・後光厳院宸翰御消息1巻(以上国重文)など書跡類を多く所蔵。現在の寺地は国史跡に指定されている。また南北朝期の門跡尊円(伏見天皇皇子)は能書家として有名で,青蓮院流(粟田流)を開いた。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7141407