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醍醐
【だいご】


旧国名:山城

山科川の左岸,醍醐山(454m)の西麓に位置する。醍醐・朱雀両天皇陵がある。地名の由来は,醍醐寺開祖の理源大師聖宝が鳳城の巽にたなびく五色の雲をたずねて醍醐山に登ったとき,白髪の老翁(横尾明神の化身という)がでてきて水(閼伽井の水という)を飲み醍醐味なるかなと賞したことにちなむと伝える(山州名跡志)。醍醐寺の創建は貞観年中すなわち9世紀後半であるが,当地には6世紀(古墳後期)の群集墳が所在し,早くから開発されていたことが知られる。醍醐寺開創後は門前集落の形成がすすみ,同寺が延喜7年に醍醐天皇の勅願寺となると飛躍的に発展,寺領荘園もあいついで形成され,教義上も真言宗小野流の拠点となり,聖俗両面にわたって大きな権力をもち,当地区の繁栄を主導した。寺は貞観~延喜年間は主に山上に営まれたが,延喜末年に山下にも堂塔伽藍が造営され,その周辺に散在寺領が設定された。醍醐天皇没後設定された陵戸5烟の散在陵戸田も,承平4年治部省の管轄を離れて寺領化(重酉抄/続群31下),久寿2年3月醍醐寺在家帳によれば,500余家の在家があり,重役輩94人(職掌・小寺主・堂童子・小舎人所・政所・御厩舎人・牛飼・番匠・鍛冶・山作)のほか,車役・召馬役・在家役・従名ら210人がいたとされる(醍醐雑事記3)。
醍醐(中世)】 南北朝期から見える地名。
醍醐村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
醍醐村(近代)】 明治22年~昭和6年の宇治郡の自治体名。
醍醐(近代)】 明治22年~昭和6年の醍醐村の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7141841