天神町
【てんじんちょう】

旧国名:山城
(近世~近代)江戸期~現在の町名。間之町通花屋町下ルの町。南北に走る間之町通をはさむ小街で,北は花屋町通,南は上珠数屋町通。町名は町内西側に文子天満宮があったことによるという(坊目誌)。同社祭神は菅原道真で,洛中二十五神の1つ。慶長以後の勧請と推定され,天明・安政・元治の大火により類焼(同前)。町内東側には真宗大谷派の西宗寺,西側には同宗光久寺がある。西宗寺は寛永7年11月僧了空の開基,光久寺は寛永2年1月僧長順の開基(府地誌)。ほかに江戸期町内には永正10年僧了円開基の真宗大谷派即成寺があった。同寺は寛永7年に当地に移転し,天明以来2度の火災によって類焼している。明治5年2月1日廃寺となったが,同12年3月再興された(坊目誌)。江戸期は東本願寺寺内町の古屋敷。明治2年の町組改正より下京(しもぎよう)17番組,同5年第25区と改称,同25年第25学区に編成。明治12年下京区天神町,同22年京都市下京区天神町となり現在に至る。明治44年の世帯数75・人口260,昭和40年の世帯数51・人口213。人口増減率(昭和40~50年)28.2%減。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7142703 |