等持院
【とうじいん】

京都市北区等持院北町にある寺。臨済宗天竜寺派。万年山と号す。本尊は釈迦牟尼仏。足利氏累代の廟所。もと真言宗で,衣笠山上にあった仁和寺の一院を移したものといわれる。禅宗に転じたのは,暦応年中足利尊氏が夢窓疎石を開山として中興して以後といわれる。足利尊氏の没後,その法諱をとり寺号を等持院と号した。寺号が定まると同時に,2代将軍義詮によって,当院を夢窓派門流相承の寺とし,天竜寺の末寺とすることが定められた。以後,十刹の第1位に列せられ,足利氏の菩提寺として,毎年7月15日には将軍の参詣をうけ,尊氏以下歴代将軍の葬儀を,次代将軍の手によりとり行う慣習であったことが当時の諸史料に見える。また,仏殿・祠堂(霊光殿)・方丈・客殿・総門などの諸堂を持ち,寺領も「蔭凉軒日録」の長禄2年6月11日条に「相国等持院等持寺領,被準于御領所,被成厳重之御判,以故守護段銭御判被成,免許之旨也」と当院領の特権を記している。元亀3年には,将軍義昭により14か所に及ぶ所領安堵の奉行人奉書を与えられ(等持院文書),豊臣秀吉から286石余が引き続き安堵されている(同前)。江戸期に入ると,朱印寺領326石5斗が与えられていた(京都大概覚書)。寺宝には,国重文の紙本淡彩等持寺絵図のほか,祠堂に安置する尊氏(等持院)・義詮(宝篋院)・義満(鹿苑院)以下,15代に及ぶ足利歴代将軍像が著名である。現在の諸堂は江戸期の再建。本堂は,文政元年に,妙心寺塔頭海福院の方丈(元和2年,福島正則の建立)を移建したもの。霊屋は天保14年,総門・中門は弘化2年の再建。庭園は,開山夢窓疎石の作庭と伝え,方丈東側の庭は隣接する真如寺の旧庭で,西には芙蓉池がある。また池の北に清
亭と呼ばれる茶室があり,これは長4帖,上段構えの珍しい形式である。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7142752 |





