松尾村
【まつおむら】

(近代)明治22年~昭和6年の葛野(かどの)郡の自治体名。松尾谷・上山田・下山田・松室・御陵の5か村が合併して成立。旧村名を継承した5大字を編成。東は桂川を隔てて梅津村および桂村,南は川岡村・乙訓(おとくに)郡大枝村,西は南桑田郡篠村,北は桂川を隔てて嵯峨村と接する。松尾山塊が村域の大半を占め,東部は桂川上流域西岸の沖積平野に属する。面積は17.573km(^2)。村名は山名による松尾山麓の地域名を採用したものと思われる。「山城名跡巡行志」に「山田の上・下,谷村是三村呼て松尾と曰う」とあり,「葛野郡村々沿革調」には「上山田・松室・松尾谷・下山田の四村を松尾と称せり」と見える。明治5年発足の松尾谷校は同23年松尾尋常小学校と校名を改称,生徒増に伴い校地を拡大する一方,拡充が図られた。同36年には松尾女学校を,大正4年には松尾実業補習学校を小学校に付設。両校を同9年合併,同15年には松尾青年訓練所が設置された。交通は桂川対岸の嵯峨村から明治43年開通の嵐山電気軌道(嵐山~四条大宮間,現京福電鉄)を利用していたが,昭和3年の新京阪(現阪急)京都線に続き,同嵐山線(桂~嵐山間)が開通,当村の北部には終点嵐山駅,中部の松尾大社前には松尾駅が開設された(大鉄局史)。乗り換え駅桂を経て京都・大阪方面に近接することになり,村容が変化する大きな契機となった。昭和5年には世帯数605・人口3,085で,大正9年に比べ93世帯・493人の増。昭和6年京都市右京区の一部となり,村制時の5大字は87町に分離。なお下山田・松尾谷の各一部は右京区の大字に継承。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7145296 |





