宮
【みや】

旧国名:丹後
竹野川河口部の東岸に位置し,東は依遅ケ尾(いちがお)山(540m)に続く丘陵,西は当地方では比較的広い竹野川の氾濫原。地名の由来は,天照大神を祭神とする式内社竹野神社が鎮座することによる。当地は「古事記」に見える丹波大県主由碁理ゆかりの地とも伝え(丹後旧事記),集落背後の丘陵には,丹後地方最大規模の前方後円墳神明山古墳(全長200m)がある。竹野神社は別名斎宮とも称す。社記によれば,推古朝の頃,
古・軽足・土車という3人の賊が加佐郡三上の岳に蜂起,勅命により麻呂子皇子が討伐にあたり,竹野郡まで逐ってこれを滅ぼした。このため麻呂子皇子を斎宮に合わせ祀り北狄守護神と崇め奉ったものという。同社は「丹後国田数帳」にも「一 竹野社 二町三段二百四十歩 御神領」と見えている。
【宮村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【宮(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7145737 |





