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山科里
【やましながり】


旧国名:山城

(古代)条里の里名。山城国宇治郡に属する。山城国山科郷古図によると4条15里。山科盆地中央を占め,山科郷,山科盆地などの広域呼称がここから生じたことがうかがわれる。里の東北半は扇状地の末端が削られて段丘化したやや高燥な地形面,南西半は低湿な山科川氾濫原で,古図上その氾濫原のところまで勧修寺領がひろがってきて,寺領の東北隅であることを示すと思われる「交口」の注記がある。里内西北部にあたる位置を現在流れている山科川支流の「封ジ川」という細流は,これに関係する河川であろう。保元3年の山城国勧修寺領田畠検注帳案(平遺2922)は,山科里内の寺領田畠として,4坪8反(作田),5坪3反(作田1反半,河成1反半),6坪1町(作田8反300歩,荒1反60歩),7坪7反(作田2反,作畠3反,道1反),16坪5反(作田2反半,荒2反半),17坪2反(ママ)230歩(作田3反),18坪5反(作田1反大,作畠1反小,荒2反)と,里の西南寄りの坪々を挙げ,古図上の寺領のひろがりを明証している。ひろがりを示すと同時に,上引の史料は,氾濫原の不安定な土地条件も示して雄弁である。このほか,史料上には,康保元年醍醐寺寮牒案(平遺283)の後山階山陵陵戸田,山科里2坪1反270歩,15坪208歩,保元3年山城国醍醐寺領坪付案(平遺2943~2945)の四条山科里8坪2反半,9坪半,などの田地の所在が記され,また,鎌倉期に入っても,嘉禄2年の田地売券(鎌遺3471・3472),暦仁元年の田地売券(鎌遺5369)などに「山科里」の名が見えている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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