雁多尾畑
【かりんどおばた】

旧国名:河内
鴈多尾・雁林堂畑とも書き,「かりんどばた」ともいう。生駒(いこま)山地の南端部に位置する。地名は,当地の上空を雁の列がよく通ったことによるともいうが(柏原市の史跡),園城寺の僧俊円が東広山照曜峰寺を再興して,照曜山光徳寺と改め,その堂を雁林堂と称したことにちなむとも思われ,「安貞二年十一月松谷記」には「本尊の事,松谷移無量寿仏尊像号雁林堂」と見える。地名としては単に鴈多尾もしくは畑とも見える。乾元2年4月8日の年紀を有する新福寺鐘銘には,「河内国大方郡鴈多尾新福寺鐘」とある(日本古鐘銘集成)。この鐘には正平22年7月7日の銘もあり,叡尊著「感身学正記」に見える新福寺のもので,新福寺は当地にあったという。また畠山政長と畠山義就との抗争を記した「長禄寛正記」には「サラバ疾イソガントテ山ノ井ノ里ヨリ須屋ト平トヲ先ガケトシテ三百余騎副,鴈道ノ峯ヨリヨヂ上リ,火ノ手ヲアゲ相図ノケブリヲ立ラルゝ」と見える。その後戦国期には「証如日記」天文6年正月22日条に「畑光徳寺為親父年忌志,強飯,とりすゑ三つ,樽到来候」とある(石山日記)。地内の光徳寺は,はじめ天台宗の寺院であったが,戦国期には浄土真宗の有力寺院となった。同寺は本願寺内部においても重要な役割を果たしており,ほかにも同書天文15年11月4日などの条に散見する。なお,松谷光徳寺所蔵の縁起「東広山照曜峰寺記」には「内州大県郡坂戸牧雁多尾畑」,同寺所蔵の「親鸞聖人御影」の裏書にも「河内国大方郡坂戸牧山田郷雁多尾畑光徳寺常住物也」とある(柏原市史)。当地は坂門牧のあったところで,中世に活躍した坂戸源氏(文徳源氏)の本貫の地としても知られる(史迹と美術/柏原市史)。
【雁多尾畑村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【雁多尾畑(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7148784 |





