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京街道
【きょうかいどう】


大阪市と京都府京都市とを結んだ街道。京都府側では大阪街道とも呼ぶ。京都市南区で西国街道と分かれて南下し,京都府八幡(やわた)市橋本を経て枚方(ひらかた)市楠葉(くずは)から大阪府域に入り,淀川の左岸堤防沿いに牧野(枚方市),枚方,点野(しめの)(寝屋川市),庭窪(守口(もりぐち)市),守口を経て大阪市東区京橋に至る。文禄年間に豊臣秀吉が淀川の堤防を改修し,いわゆる文禄堤(太閤堤)を築造してから川筋が安定するとともに,その堤防上が陸路として開けたのに始まる。江戸期,幕府は参勤交代の途中で西国大名が京中に入ることを禁じ,東海道も山科(やましな)から伏見への迂回路が定められたため,伏見・淀・橋本についで府域では枚方・守口に宿駅が設けられ,これが京・大坂に至る実質的な東海道であった。この5宿場は京五宿と呼ばれる。枚方宿は天明年間に本陣と旅籠32軒以下家数341,人数は1,592人を数え,繁華な町並みを形成していた。次の守口宿は,元禄元年以降は守口町として一町一宿の構成をとり,享保13年には家数177(うち旅籠屋26軒)・人数752,天明5年に家数205・人数816。現在は守口市駅前の本町2丁目付近にわずかながら宿場町らしい町並みが残る。明治期は国道2号線と呼ばれ,大阪市東区高麗橋の元標が当道の終点であり,経路も淀川改修などによって部分的に変動があった。明治9年の大阪~京都間の官設鉄道開設,同43年京阪電鉄の開通によって一時衰退したが,大正8年国道1号となる。しかし,昭和41年枚方市出口まで枚方バイパスが完成して,のちにこれが現在の国道1号となり,京街道の大部分は主要地方道京都守口線(一部国道1号などを含む)となっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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