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月峯寺
【げっぽうじ】


豊能(とよの)郡能勢町大里にある寺。真言宗国分寺派。山号は剣尾山。本尊は千手観音。寺伝によれば,推古天皇の時百済の僧日羅上人が仏教を広めるための伽藍建立の地を求めていたところ,聖徳太子が日羅を伴い当山を訪れ,山頂に一寺を建立(府誌5)。その際日羅が放光している槻木を得て本尊を刻して安置したとする(摂陽群談)。また日羅の修行中に不動明王の利剣が虚空から護摩壇に飛来したので,当山の古名下樋山の字音に基づき剣尾山と号し,光明を放つ槻木の槻と月,放と峰とが訓音相通じるため月峯寺と称したという(府誌5)。鎌倉・室町期当山上に天台宗の49院があったと伝え,磨崖仏・石塔・土器など鎌倉以降室町中期の修験道に関係するとみられる遺物が見られる。応永18年宿野・山辺両参道の1町ごとに道しるべとして66基の町石を造立。翌19年3月より京都北野神社(天満宮)の一切経の写経に当寺住僧澄尊が参加し大般若経の巻141~160を書写している(大日料7-16)。永正年間には宗祇の弟子牡丹花肖柏が当寺を詠んだと思われる「吹けあらししぐれも月の峯の松」の句吟がある(春夢草/続群36)。その後間もなく作られたと伝える「月峯寺水帳」に,寺領約40石・寄進田など合わせて75石あったと見える。しかし天文14年丹波国波多野秀治の当地侵略の際兵火に罹り伽藍を焼失(府誌5)。江戸期に入り,高野山金剛峰寺の末寺となる。寛文4年僧観行が現在地である大里村に移転再興(同前)。その後僧若珠が剣尾山上に当寺再興を企てたが(摂陽群談),大里村月峯寺の住僧の訴えで破却された。元禄・享保期河内国延命寺の浄厳(江戸湯島の霊雲寺開山),「万葉代匠記」を著した契沖,生駒(いこま)山の宝山寺開山湛海の弟子らが当寺住職となって一時盛観を呈したが明和8年より無住となり廃寺寸前となる。明治3年僧覚誉が堂宇を再建(大阪府史蹟名勝天然記念物2),昭和22年真言宗国分寺派の独立に伴い現宗派となり今日に至る。寺宝として明応4年藤原公夏筆の紙本著色槻峯寺建立修行縁起2巻があるが,長さは20mにも及び絵は土佐光信筆と伝える。なお剣尾山上の月峯寺跡は府史跡に指定。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7149542