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崇禅寺
【そうぜんじ】


大阪市東淀川区東中島5丁目にある寺。曹洞宗。山号は凌雲山。「応仁記」(群書20)には宗禅寺と記されており,これが「そうぜんじ」呼称の由来となったと思われる。本尊は釈迦牟尼仏。古く天平年間行基により創建されたと伝えるが未詳。嘉吉の乱で赤松満祐に謀殺された6代将軍足利義教の香華院(菩提所)として知られる。嘉吉元年6月24日,義教を殺害した満祐・教康父子は領国播磨へ下る途中,当地付近に義教の首を埋葬(同前)。翌嘉吉2年4月29日には乱後の恩賞として西成(にしなり)郡を給された細川右馬頭持賢が,普広院殿(義教)追善のため「摂津国中島内乳牛牧欠所分並福島村欠所分」を寺領として寄進し,首級の埋められた当地に一寺の建立を命じている(崇禅寺文書/曹洞宗古文書下)。また同日付の民部丞景安敷地渡進状案で当寺敷地を「中島惣社領松原内壱町四方」と他の若干の土地とされ(藻井家所蔵文書/吹田市史4),当寺の実質的成立は,この時の寺地寺領寄進によると考えられ,住持に徳叟亨隣を請じた(府誌5)。将軍菩提所として建立された寺であったことから,以後も細川氏を中心とした寺領寄進が続き,文安4年6月6日の崇禅寺領目録並室町幕府下知状案(2通)では13か所の寺領が記され,幕府の安堵をうけている(同前)。しかし戦国期の天正年中兵火に罹り諸堂を焼失。10世住持全勝の時に復興された(大阪府史蹟名勝天然記念物5)。当寺門前を崇禅寺馬場といい,「崇禅寺馬場の返り討」の場所として有名。これは大和国郡山藩の生田伝八郎が遠城宗左衛門という藩士を殺害し逐電。宗左衛門の兄治左衛門・喜八郎の2名が弟の仇として伝八郎を探し出し,正徳5年11月4日同馬場において決闘を行う。しかし伝八郎方に10数人の加勢があり兄弟は逆に惨殺され,当寺に埋葬。生田伝八郎は仇討ちに助太刀を求めたことから世の非難をうけて,遠城家墓前において切腹したという。この仇討ちは怪談話の浄瑠璃「敵討崇禅寺馬場」(宝暦8年初演)として仕立てられ人々に知られる。現在,境内には足利義教墓と伝える五輪塔や細川ガラシア夫人の墓が残り,明治2年1月に設置された摂津県(後に豊崎県と改称)庁は当寺を庁舎にあて,その跡は府史跡に指定。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7150997