東百舌鳥村
【ひがしもずむら】

(近代)明治22年~昭和17年の自治体名。はじめ大鳥郡,明治29年からは泉北郡に所属。百済(くだら)川上流の美濃川流域,洪積丘陵上に位置する。土師(はぜ)村・土師新田の2か村が合併して成立。旧村名を継承した2大字を編成。役場を土師字土塔(どとう)に設置。地名の由来は,旧万代(百舌鳥)荘の東部に位置することによる(全志5)。明治41年深井村と一部境界変更を実施。当村は小作争議が多く発生,大正10年には土師の小作人が永小作権の分譲を要求,同13~14年も小作料減額要求の争議があった。また土師新田においても,明治30年から109名の小作人と地主の永小作の争議があり,大審院まで争った。昭和2年には再度紛争が生じ,同6年大阪地方裁判所の調停委員会により109名の自作農出現で解決した。明治26年東百舌鳥尋常小学校が設立。同31年大阪高野鉄道(現南海高野線)が開通,大正9年の道路法による長野~堺間の府道認定とともに当村発展のもととなる。明治22年の人口1,879。同42年の戸数322・人口2,162。世帯数・人口は,大正9年473・2,446,昭和10年601・3,204。同17年堺市の一部となり,村制時の2大字は東百舌鳥村を冠称し,同市の大字に継承。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7153278 |





