100辞書・辞典一括検索

JLogos

49

枚方宿
【ひらかたじゅく】


旧国名:河内

(近世)江戸期の宿名。河内国茨田(まつた)郡のうち。東海道(京街道)に位置し,岡新町村・岡村・三矢村・泥町村4か村の町場からなる。慶長6年から寛永年間の成立と考えられる。宿4か村の村高合計(宿高)は642石余,町並みは東見付(天野川畔)から西見付まで797間,馬借所1・人足継所2・本陣1を備える。17世紀中頃以降100人・100匹の人馬を常備して人足役と伝馬役を勤めることになり,寛永10年から扶持米として年21石余が支給された。寛文5年から馬100匹の地子免許として1万坪が認められ,宿問屋にも年7石の給米が支給された。元禄6年から「御継飛脚役之者地子引」という名目で宿内に屋敷高33石余が免除された。助郷は,万治3年には茨田郡中振(なかぶり)村・出口村・伊加賀村・走谷村・枚方村の5か村2,600石余の勤であったが,元禄7年以後茨田・交野(かたの)・讃良(ささら)郡の28か村1万4,923石の大助郷となった。天明年間の宿内家数341軒(うち旅籠32・商職人47・東西宿端茶店7・本陣1・馬借所1・人足継所2)・人数1,592。天明4年の年間の人馬継立数は人足1万937人・馬1,436匹で,その大半が淀宿行の上りに偏するという片宿であった。片宿であるため駄賃稼ができにくい状況などがあり,宿馬数は時代とともに減少した。明治5年伝馬制度廃止により当宿も廃止された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7153396