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南久太郎町
【みなみきゅうたろうまち】


旧国名:摂津

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は大坂三郷南組のうち。はじめ1~6丁目,明治5年からは1~4丁目がある。6丁目はもと拾三軒町と称していたという(初発言上候帳面写/大阪市史5)。農人橋西詰より一筋南,東は東横堀,西は御堂筋までの町で,1丁目と2丁目は一丁目筋,2丁目と3丁目は堺すじ,3丁目と4丁目は中橋筋,4丁目と5丁目は丼池(どぶいけ)筋,5丁目と6丁目は心斎橋筋を境とした(宝暦町鑑)。元禄13年の大坂三郷水帳寄せ帳によると1丁目の家数34軒,役数44,うち無役数2(年寄・会所),年寄は中道屋六右衛門。2丁目の家数44軒,役数52,うち無役数2(年寄・会所),年寄は伊丹屋六兵衛。3丁目の家数40軒,役数50,うち無役数2(年寄・会所),年寄は井筒屋久右衛門。4丁目の家数42軒,役数47,うち無役数2(年寄・会所),年寄は榎並屋彦左衛門。5丁目の家数14軒,役数19,うち無役数1(年寄),年寄は橋波屋三郎右衛門。6丁目の家数16軒,役数32,うち無役数1(年寄),年寄は平野屋市兵衛。当町は本町界隈の繊維衣服関係商業の中心地の一画で,その他,唐小間物商・塗師職・漆器商の店も多かった。御堂筋前は松尾芭蕉終焉の地で,花屋仁右衛門邸があった。明治2年大阪東大組,同12年東区,同22年からは大阪市東区の町名。世帯数・人口は,大正9年426・2,762,昭和30年146・773,同50年77・267。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7154145