上野村
【うえのむら】

旧国名:播磨
(近世)江戸期~明治12年の村名。播磨国加西郡のうち。下里川支流畑川上流域。東西に走る山崎断層線谷の低地帯にあたる。古くは酒見北条郷に属した。もと別所長治領,天正8年羽柴秀吉領,同13年羽柴秀長領,同16年木下家定領,文禄2年木下延俊領。慶長5年姫路藩領,元和3年同支藩領,寛永16年幕府領,宝永3年出石(いずし)藩領,宝暦13年清水家領,寛政7年幕府領,文政6年清水家領,安政2年からは幕府領。村高は,文禄4年320石余(岡山県木下家文書),「正保郷帳」423石余うち田411石余・畑12石余,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)および「天保郷帳」「旧高旧領」ともに426石余。当地は旱損がちの地で,畑村に7か村立合の大池があり,慶長年間以来たびたび土手の嵩上げなどにより貯水量の増加がはかられたが,それでも水論が頻発した。昔は「月夜でも日やけする」といわれた程水不足であったという。宝暦13年村明細帳によれば,家数37・人数178,牛10,反別31町余,田方用水は4分が川水掛り・5分が池掛り・1分が雨水掛りであった(西上野区有文書)。嘉永7年の反別31町9畝余うち5町余が田畑共入作分,人数177(三枝家文書)。氏神は寺内村酒見社(現北条住吉神社)。同社4月3日の例祭に行われる神事「鶏合せ」の執行人は東西両郷から1名ずつ出て勤めるが,西郷は昔から当村が担当している。寺院は浄土真宗鶴林山専徳寺(加西郡誌)。明治7年の反別31町余うち田29町余・畑2町余,納米74石・金納869円(西上野区有文書)。同12年西上野村と改称。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7155946 |





