兎塚
【うづか】

旧国名:但馬
瀞川山の山麓,矢田川の支流湯舟川の流域。地名の由来は「但馬考」に「此の郷中に兎束村あり,俗に鵜塚と書く。古老の語り伝ふるは,むかし上野原(うわのはら)に兎すみしを,西殿と言う人狩り出して首をはね,これを埋む,今に其の塚あり」とある。天正年間豊岡の奈佐政高という人が大森の池に住む大蛇を退治しようとした時,上野(のち兎和野)に住む3羽の兎が妨げたのでこれを射殺し,1羽は地内の下中山の後に,1羽は道の川端に,1羽は八井谷に塚を建て,これ以後当地は兎束から兎塚と書かれるようになったと伝える(増補七美郡誌稿)。
【兎束郷(古代)】 平安期に見える郷名。
【兎束荘(中世)】 鎌倉期~室町期に見える荘園名。
【兎塚村(近世)】 江戸期の村名。
【兎塚村(近代)】 明治22年~昭和30年の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7156063 |





