江川町
【えがわちょう】
旧国名:摂津
(近世~近代)江戸期~昭和52年の町名。明治中期~昭和6年は兵庫を冠称。江戸期は兵庫津岡方の1町。旧湊川の支流に江川があり,川筋の町名になったという。元禄古図では,川池(現松本通1~8丁目付近)からの細い水路と兵庫津外郭を流れる水路が当町の東で落ち合って佐比江に流れ込んでいる。この水路を江川と呼んだと思われる(神戸の町名)。「西摂大観」によれば,この水路には水田の落とし水や町内の下水が混り佐比江の船繋ぎ場はいつも汚れていたので,兵庫の船方から醵金して川ざらえを度々実施したという。湊町惣門に隣接し,西国街道に続く陸上交通上の要地となっており,兵庫津中心市街部の一部を形成する商業交易地帯であった。寛政8年の家数70・人数278(安田家文書)。町内に兵庫津の豪商北風宗家六右衛門家の菩提寺藤之寺があり(現兵庫町1丁目),ほかに臨済宗恵林寺(現兵庫町2丁目)など,城下町の防衛のため集められた寺群が存在した。明治元年岡組,同5年兵庫2番組に属す。同12年神戸区,同22年神戸市,昭和6年同市湊西区,同8年からは同市兵庫区に所属。明治6年西大路町を合併。世帯数・人口は,昭和5年87・443,同35年60・221。同50年七宮町1~2丁目・兵庫町1~2丁目,同52年本町1~2丁目となる。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7156145 |