大窪
【おおくぼ】

旧国名:播磨
大窪荘・大久保庄と呼ばれた地域の中心の村(采邑私記)。谷八木川上流,印南野の南に位置する。地名の由来は,明石川西岸の丘陵地と岩岡から南に伸びた丘陵地の間に谷八木川が流れ,大きな窪地を形成していることによる(西明諸記)。大窪から大久保の地名が生まれ,いまも両方の表記が共存している。天正13年4月13日の山田道清等連署撞鐘寄進状によると「明石郡大窪光触寺」に対して生駒親正の家臣と考えられる4名の人々によって撞鐘が寄進されており,光触寺は「大くほ道場」と呼ばれていたらしい(光触寺文書)。
【大窪村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【大窪(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7156304 |





