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神崎の渡し
【かんざきのわたし】


中世~近世に見える渡し名。三国川(現神崎川)と猪名川の合流点に位置し,西岸の神崎(現尼崎市)と東岸の加島(現大阪市淀川区)を結んでいた。古来,交通の要衝として栄え,かつては橋が架けられていたと伝えるが年代未詳。「太平記」には,神崎橋の戦をはじめとし,たびたび当地が戦場になったとある。また慶長国絵図には,大坂から当地へ渡り尼崎・西宮方面に向かう中国街道,当地から伊丹を経て有馬に向かう有馬街道(くらがり街道)の記載があり,ともに神崎川を船で渡ったとある。近世に入り,中国街道は西国街道を圧し,神崎の渡船は「摂津名所図会」に「昼夜行人絶えることなし」とあるように,西国諸国への幹線街道の要津となった。神崎の渡し口跡に「金毘羅大権現」と刻まれた大灯籠,またかつてのくらがり街道沿いに伊丹との分岐点を示す道標が残る。大正13年,やや下流に神崎橋が架橋され,神崎の渡しの使命は終わった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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