久保町①
【くぼちょう】

旧国名:摂津
(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は西宮町町方の1町。昭和初期まで「くぼのちょう」と呼ばれた。町名の由来は,東西に伸びる2つの砂嘴間の浅瀬が陸地化したのち窪地となって残ったという地形による。戎社表大門(赤門と俗称)から東へ伸びる中国街道沿いに発達した門前・宿場町の中央部に位置する。中国街道と越水道との交差点に幕府の高札場があった。寛文元年西宮町御検地帳写に見える11町のうち名請人は最多の51。文化8年の家数57・人数265,うち借家29・117人(西宮市史2)。江戸前期久保町の浜側にも久保浜(のち浜久保)町が成立。宮水発祥の梅の木井戸などがあり,酒造地帯の一画を占める。明治8年浜久保町・石在町・浜石在町を含めた4町は字二号地となる。しかし,区域も広く,「本町ノ中央ニアリ家屋連簷市街ノ地タリ」(西宮町誌)という状態であり,旧町名も混用された。明治22年西宮町の町名となる。同24年西宮銀行設立。同32年町役場を設置するが,昭和3年字六湛寺へ移転。大正8年の開校以来独立校舎のなかった西宮商業実習学校は,旧町役場に移った。同14年浜久保町を編入し,西宮市の町名となり,同時に一部が本町となる。昭和39年一部が本町・鞍掛町となり,石在町・鞍掛町の一部を編入。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7157998 |





