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神戸居留地
【こうべきょりゅうち】


(近代)明治元年~明治32年の地名。慶応3年の兵庫開港に伴い建設された外国人居留地。兵庫居留地ともいう。明治32年の治外法権撤廃実施まで外国人による自治権が認められた。八部(やたべ)郡走水(はしうど)・二茶屋・神戸3か村の浜手地域に設定。明治元年の兵庫大坂外国人居留地規定書によれば,区域は東は生田川,西は宇治川を限り,両河口間の海岸およそ400間に石垣を築くこととし,所定の土地がふさがった場合には必要に応じて北部山麓まで区域を拡張,神戸町での土地・家屋の貸し渡しは自由とされていた(県史5)。現在の神戸市役所前の道路から鯉川筋の間で,大丸前道路の南一帯(神戸の町名)。慶応3年末終了予定の居留地工事が幕府の倒壊などで完成が遅れ,応急措置として神戸町のほか山手の宇治野・花熊・中宮・生田宮・北野の5か村も外国人雑居地に加えられた(県史5)。居留地の工事は,明治元年10月に完了。地内は126区画に分けられ,南北8本・東西5本の道路がつくられた。イギリス人土木技師J.W.ハートが西洋風の市街計画を実行,街路には赤レンガの歩道がつけられ街路樹が植えられた。下水道も完備した近代的な町づくりで,のちについた電灯の電線も地下に埋設(神戸の町名)。同5年南北道路に東から東町・伊藤町・江戸町・京町・浪花町・播磨町・明石町・西町,東西道路に北から裏町・北町・仲町・前町・海岸通りの名称がつけられた。これらの通名が行政的に町名として用いられるようになったのは居留地返還後で,それまで居留地何番と称した(同前)。居留地内の自治のため各国領事などによる居留地会議が組織され,執行機関として居留地行司(事)局が置かれた。行司局は居留地積立金の管理,居留地警察・消防隊の設立などを行った。同32年,改正条約が実施され,居留地は日本政府に返還された。同年神戸市の一部となり,13の通り名は同市の町名となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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