小谷①
【こだに】

旧国名:播磨
播但山地南東端。地名の由来は不明であるが,谷は前面をほぼ東西に走る山崎断層線谷の低地帯を意味するものと思われる。北側に小谷・谷・西谷と並び南側には吸谷がある。小谷城は赤松(宇野)氏の代々の居城。享保5年に江戸幕府に報告した小谷城の図面(小谷区有文書)によれば,山頂の本丸を空堀で囲み,二の丸・三の丸・西小丸などを控えた要害堅固な山城である。天文11年尼子氏に敗れた。城主赤松祐尚と家臣の墓は陽松寺に残る。小谷石仏は家形石棺の蓋石に定印の阿弥陀像を彫り,康永4年の銘がある。「よばりこき地蔵」とも俗称し,願をかければ子供の夜尿に霊験があるという。また城主が住居したと伝える「殿ガチ」に立つ五輪塔2基はその様式より南北朝期と室町初期と考えられ,ともに城主に関連のものと思われる。
【小谷村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【小谷(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7158431 |





