里畑村
【さとはたむら】
旧国名:丹波
(近世)江戸期の村名。丹波国多紀郡のうち。篠山(ささやま)盆地中央部,篠山川支流畑川流域に位置する。地名の由来は,畑地区の中心部である平地に立地することにちなみ,奥畑村に対する。篠山藩領。「天保郷帳」に見える村名で,村高は1,203石余。同帳では「古は今谷村・大上村・宮村・菅村・大淵村・和田村六ケ村」と注記され,「元禄郷帳」でもこれら6か村のそれぞれに「里畑」と肩書で注記されているように,これらの村々の総称であった。慶長13年丹波多紀郡桑田津之国帳はこの地域の村高について畑奥村800石,畑里村1,173石,青畠村587石余,青畠奥村78石余と記す。正保4年「丹波国郷帳」では6か村に分けて記されている。江戸初期までは1か村として扱われたが,のち6か村に分村したものと考えられる。「丹波志」では里畑村の名は今はなく,6か村に分かれていると記している。「天保郷帳」では古くからの総称を採用したが,実際上は6か村に分かれており,明治初年以降も6か村に分かれたままであるというのが実状であった。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7158801 |