継
【つぎ】

旧国名:播磨
八家(やか)川中流右岸,糸引平野の北東部。地名の由来は,1人の死んだ女を筑紫国の火君の祖が来て,復(つぎ)生かして(蘇生させて)妻にしたことによる(風土記)。地内の東部,八家川流域一帯は海抜0~2mの低地で,往時はこの辺りまで海が入り込み,当地は船の出入りする港であったと伝える。地内南東部の広海(ひろみ)は葭の生い繁る沼沢地で,昔の入海の面影を残していたが,昭和50年代にほとんどその姿を消した。他方,中・西部の平地は肥沃な水田で,集落は中央部やや東寄りの字荘ノ内を中心に発達した。なお,中世末期に,三木城落城の際,ひそかに城を逃れた別所長治の遺児が後日当地に住みついたと言い伝えられ,地内北部丘陵の山麓に別所家の墓地がある。
【継(古代)】 奈良期に見える地名。
【継荘(中世)】 平安末期~戦国期に見える荘園名。
【継村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【継(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7160740 |





