西長
【にしおさ】

旧国名:播磨
下里川と支流賀茂川の合流点付近,善防山の北麓。古くは下里郷に属した。地名の由来は,嘉吉の乱で落城した善防山城主赤松左馬介則繁の家臣,長谷川道院がこの地に隠れ住み開拓したので,その姓の頭字を取って長村と名づけたと伝える。長谷川道院の墓は地内字上原の旧屋敷にあるという(加西郡誌)。東西2か村に分かれた時期は不明。笹倉の長浜家文書に天正16年頃,豊臣秀吉の家臣木下半介吉隆が,加西の笹倉・油谷・法華坂本と「尾佐市」を領している。この尾佐市を奥山寺とする説がある(長浜文書)。
【西長村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【西長(近代)】 明治22年~昭和42年の大字名。
【西長町(近代)】 昭和42年~現在の加西市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7161780 |





