100辞書・辞典一括検索

JLogos

10

西宮港
【にしのみやこう】


西宮市の海岸部全域を占める港。尼崎西宮芦屋港港湾計画により整備された重要港湾の1つ。古くから畿内と瀬戸内海との結節点に位置し,「万葉集」「日本書紀」には武庫の泊とあり,現在の西宮市津門近辺にあったと考えられている。海岸部の土砂堆積により,中世には西宮・今津・鳴尾の3浦が発展した。特に西宮浦の鯛は,前鯛(御前の浜の桜鯛)として名高く,「本朝食鑑」にも紹介されている。江戸期には,肥料用の鰯を求めて房総半島へ進出する漁民も少なくなかった。また,周辺部は酒造業地として知られ,西宮・今津港から江戸への菱垣廻船,樽廻船が成立し,港とともに酒造業地としても急速に発展した。文化7年大坂屋(現在の大関酒造)の長部家5代目長兵衛が航海の安全のため,私財を投じて今津港に灯台を設置,現在も正式の航路標識として使用されている。幕末には防衛のため,西宮・今津に砲台が築かれた。明治以降の小改築を経て,昭和初期に改修が行われ,朝凪地区埋立地に川崎製鉄の工場が建設された。鳴尾港地区では,阪神築港株式会社(現在の東洋建設)によって,武庫川から旧枝川に至る海面の埋立てが計画された。昭和4年認可され,同8年着工。一部は完成し,海軍の飛行場として利用されたが,大部分は第2次大戦により中断された。昭和23年に西宮・今津・鳴尾港を合わせて,西宮港と改称。昭和42年大阪湾西部(尼崎・西宮・芦屋港)開発計画が決定され,鳴尾地区は東洋建設によって工事が再開され,同51年に竣工。阪神木材港・東部総合処理センター・フェリー発着場・民間企業などが設置され,臨海公園・海釣り広場も設けられた。一方,甲子園・西宮地区は自然保護を求める住民の反対にあい,市当局は計画変更し,香櫨園浜は現状を維持,甲子園浜は埋立地を縮小し,人工海浜を造る案が出され,昭和58年から工事が再開された。現在,香櫨園浜・甲子園浜は鳥獣保護区,西宮砲台は国史跡となっている。また,西波止町にはヨットハーバーがあり,工場と堤防が連なる阪神間臨海部のオアシスの感がある。昭和57年の取扱貨物量は757万4,055t。西宮市鳴尾浜から淡路島の津名港へは,甲子園高速フェリーが運航しており,昭和57年には21万567人の利用客があった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7161948