浜東町
【はまひがしちょう】

旧国名:摂津
(近世~近代)江戸期~大正14年の町名。江戸期は西宮町浜方の1町。町名の由来は,西宮町浜方の東部にあることによる。貞享元年西宮町浜地図では東ノ町の南に東ノ浜と見える。もと漁業従事者とその産物を扱う干鰯問屋や海運業者などが住み,広大な面積に比べて人口は希薄であったが,酒造とその関連業の発達で人口が急増した。酒造業の発展は文化元年20蔵2万3,850石に上り,西宮総生産高の44%を占めた(西宮市史2)。天保5~6年には家数695・人数2,677で,当時の西宮住民の33%を占める最大の町となった。その内訳は家持260・借地102・借家332で,町人が多い市街地の様子を見せている(同前)。このように住人が多かったため,慶応2年当町を分割区分して浜東町1~3丁目とした(西宮町誌)。寺院は浄土真宗信行寺がある。東方,東川に近いところに索規浜と呼ばれる松原があり,西宮の人が伊勢参宮などの旅行に出る際家族と送迎の宴を張ったところという(広西両宮記)。天明2年有岡太兵衛が浜東町(はじめ3丁目の地,のち1丁目)に作った雑魚場は魚市場として繁栄した(のち昭和7年中央卸売市場に移転)。明治17年旧尼崎藩権大参事豊田政苗が漢学教授を中心に設立した三余学校は,同36年まで存続。明治8年字一号地となるが,こののちも旧町名と字名が併用された。同22年西宮町の町名となる。大正14年西宮市浜松原町・東浜町・東町1~3丁目となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7162450 |





