原坂村
【はらさかむら】
旧国名:播磨
(近世)江戸期~明治5年の村名。播磨国美嚢(みなぎ)郡のうち。美嚢(みのう)川支流小川川中流域。もと豊臣氏蔵入地。慶長5年姫路藩領,元和3年からは明石藩領。村高は,「正保郷帳」172石余うち田150石余・畑22石余,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)も172石余,「天保郷帳」202石余,「旧高旧領」201石余。享保年間の「金波斜陽」によれば,家数27・人数175,神社は山神社・地神社・愛宕社があり,産土神は上芝原村の御酒大明神,ほかに薬師辻堂がある。明治5年中里村の一部となる。
 | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7162502 |