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兵庫港
【ひょうごこう】


古代に大輪田泊,中世に兵庫島,近世には兵庫の津と称した。神戸市兵庫区にある神戸港の内港。行政上の指定港湾として兵庫港の名は用いない。神戸港域の西部,和田岬(三菱重工神戸造船所構内)と旧湊川尻(川崎重工造船所構内)の両突端に囲まれた水域を占める。神戸港の母胎となった歴史をもつ。和田岬・六甲山地により風波から守られた自然の良港。神戸港の一部とし内貿を主に整備されたが,現在は第1~3突堤埠頭(岸壁延長合計2,628m,係船バース17隻)と中央市場海上入荷用岸壁323mがあり,外貿埠頭とされている。特に第3突堤は青果物専用埠頭で,植物検疫や通関検査を円滑に行う近代的な設備が整えられている。万葉の頃は範囲は広く,「大和太乃浜」と詠まれた地も東部から和田岬外側に及んだと解される。大輪田泊は行基の五泊(三善清行封事)が初出。港の整備は延暦4年神崎川開削以後と推定される。平安期を通じ,大輪田船瀬修復の記録は多く,西国への海上交通の要津となる。平清盛による経ケ島修築は特に有名。中世には,経ケ島付近を中心に兵庫島と呼ばれ,入津船数も多く,南北海関は荘園領主の収入源となった。日明貿易船発着の際には将軍足利氏もたびたび来訪した。近世,北廻航路の盛行に伴い,兵庫・兵庫の津として繁栄を取り戻し,西国諸大名の上陸する浜本陣も設けられた。安政年間,開港の対象地として兵庫の名が挙げられ,兵庫港の名において神戸が開港された。開港後,兵庫港は神戸港と併立し,桟橋・運河・埋立てなど近代化を図ったが,神戸港の盛況に及ばず,明治25年神戸港域に含まれる内港となり,現状のように築成され,明治初期までの自然の海浜はみられない。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7162969