井光
【いかり】

旧国名:大和
吉野川支流井光川流域に位置する。神倭伊波礼毘古命(のちの神武天皇)は吉野山中で,尾を有し井中から出てきた吉野首(吉野首部)の祖,国神井氷鹿(井光)に出会ったと伝承される(古事記神武段・神武即位前紀戊午年8月乙未条)。また「姓氏録」大和国神別によれば,吉野連は加弥比加尼の子孫とされ,神武天皇が吉野に行幸した時,神瀬に至ると,井に光る女がおり,天から降った白雲別神の女で,名は豊御富であると自称したので,天皇は水光神と名づけたとあり,当時吉野連が祀った水光神とされる。なお「古事記伝」は天皇が井光に出会った地を飯貝に比定する。イカリはヰカヒの転訛で,猪養部の略とも考えられる(県史14)。地内に井光宅跡・井光の墓や井光を祭神とする井光神社などがある。川上村では高原や柏木と並んで最も古い村とされる。
【いかり(中世)】 戦国期に見える地名。
【碇村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【碇(近代)】 明治22~34年の川上村の大字名。
【井光(近代)】 明治34年~現在の川上村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7165326 |





