櫟本
【いちのもと】

旧国名:大和
古くは櫟井とも称した。大和川に注ぐ佐保川支流高瀬川流域に位置する。山辺の道(または上ツ道)が,都祁山道および竜田道の延長線と交差する地点に位置する。「石上衢」(続紀延暦8年10月乙酉条)の比定地で,市辺押羽皇子の「市辺宮」(顕宗即位前紀)。「石上市神社」(延喜式神名上山辺郡)の名も見えるところから,衢には市が開かれていたと推定され,その市にちなむ地名と考えられる。
【櫟井(古代)】 大和期から見える地名。
【櫟本(古代~中世)】 奈良期から見える地名。
【櫟本村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【櫟本村(近代)】 明治22~27年の添上郡の自治体名。
【櫟本町(近代)】 明治27年~昭和29年の添上郡の自治体名。
【櫟本(近代)】 明治22年~昭和33年の大字名。
【櫟本町(近代)】 昭和33年~現在の天理市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7165442 |





